けっこう話題騒然っぽいはてなの新しいサービス「Rimo」です。
昨日も取り上げたのですが、ちょっといじったりヨソの言及を読んで、もうちょっと思うことを。
これの画期的なところは「テレビ的」であるということだと思うのです。それでもってテレビ的というのはどういうことかというと、受動的なんだなと。
テレビのリモコンで電源を入れます。能動的なところはこれだけです。あとは流される番組をみてるだけです。そしておれだけではなくみんなもそうだと思いますが、テレビの電源を入れるという行動の先にあるものは「みたい番組をみるため」ではないと思うのです。
みたい番組があったとして、まだ時間が早い場合、テレビの電源を切りますか? あるいは、なにかの理由で放送中止や延期になった場合、そこでテレビの電源を落としますか? おれは落としませんね。
で、漫然とリモコンを操り、どこかでおもしろそうな番組をやってるか探してます。そして、すべてのチャンネルがつまらなくても、1番マシなチャンネルに合わせてほったらかしにしてます。つまりBGV化ですね。
Rimoはつまりそれといっしょですよ。よりテレビ化してます。漫然と流すためのYouTubeツールだと思えばいいんだなと。iTuneのパーティーシャッフルがすなわちRimoだと。
だからシンプルって批判はお門違いもいいところです。テレビにつまみがたくさんついてないとダメってのと同じくらいナンセンス。
みたい番組がないってのも聞きますがそれもつまり「最近のテレビはつまらなくなった」ってジジイのグチといっしょ。
みたい番組がほしいのならYouTube本体で探せばいいし、関連情報サイトなどを利用すればいいし、かかわりたいならニコニコ動画やら2ちゃんねるを利用すればいいことですね。とくにニコニコ動画とは180度スタンスがちがいますよね。もちろんどっちが優れているってことじゃなくて。
つまり、能動的であるPCにはむいてないんですよ。Wiiのためにのみあるようなものです。Wiiによって居間のテレビに新しいチャンネルを増やすためのツールだと思えばいいんです。だからこれはWiiのための新しいサイトです。任天堂は積極的に関われとはいいませんが、さりげなくRimoをみやすいようブラウザをアップトゥデートしてほしいものです。
で、ふと気がつくんですよね。
テレビのチャンネルってのは「変える」ことができるけど「選ぶ」ことはできないんだなと。
その場その場で1番おもしろい番組にチャンネルを変えることができますが、自分がココロの底からみたい番組を選ぶことができないと。そこでやってる番組から「おもしろい」「みたい」を抽出して自分のがわで合わせるしかないってことですね。
そういったままならないところもこみでRimoはおもしろいなと思った次第です。つまらないとスキップできるところが通常のテレビよりはちょっと進んだところですかね。なにげに4チャンネルのペットチャンネルがおもしろかったり。
これから、通常のテレビがつまらないときは、マメに利用すると思います。