本当は、はてな匿名ダイアリーでid付きで書こうと思ったけど勘弁してやった文

第36話「現実」 / うつ病になってマンガが描けなくなりました - 相原コージ | webアクション
https://comic-action.com/episode/2550689798323708085

これにこうコメントしました。

最終コマが「ルックバック」に繋がってると考えると「現実」というタイトルにもグオーっと意味が起こるなあ。すごいマンガだわ。

するってえとそれにひっかけるかのような別のひとのコメントがありました。

↓ルックバックにつながるって机に向かう本人後ろ姿からのただの連想ですか?それともそれを匂わす展開ありましたっけ? / 寛解して(もしできたら漫画をまた描いて)くれることを願ってます……ご自愛を

ん?わかんねえかなあと。
ルックバックは表紙もそうだけど、あらゆるところでひたすら机にむかってマンガを描いてます。それはマンガを描き始めた最初も、うれしいこと悲しいこと、どんなときにもマンガを描いてました。
マンガ家は人生の大半をそうやって費やしている。
そして、「うつ病になってマンガが描けなくなりました 」というマンガはルックバックの表紙のように机に座っているシーンで終わります。相原氏も多くのマンガ家と同じく、机に向かいマンガを描き始めて、そしていろういろあったけどまだ描き続けているというルックバックの最終コマからつながり、さらに先に、「うつ病になってマンガが描けなくなりました 」の最終コマになり、そのタイトルが「現実」と、描き切る。つまりルックバックではマンガを描いている後ろ姿が、ついには描けなくなったマンガ家の後ろ姿として描いている。
これを「あしたのジョー」の燃え尽きて灰になった姿と重ねると、それは「現実」ではなくなる。だから「現実」というかリアルタイムでは、「描けない」と机に座ってる姿。これが「現実」なんですよ。

エッセイコミックは多かれ少なかれ、身を切り、取りだした血肉をマンガにするという作業です。
それは相原コージ氏のこのマンガも同じですが、出してる血肉がとびきり生々しいという「現実」を描いている。すごい以外の感想があるか?と。

寛解して」とか、「お大事に」とか、「またおもしろいマンガを描いて」とか、読者の立場でやいやいいわれる、見世物状態になると覚悟してもこれを描ききったわけです。
悪気はないし本心からそう思ったけど、それで刺しにくる善意の刃ですよね。これが「現実」なんですよ。おれはそこに「すごいマンガ」以外のことは書けなかった。

心の底から相原氏のことを思うなら、「うつ病になってマンガが描けなくなりました 」を買えばいいんだよ。というかそれ以外にできることないだろ。「心の底から相原氏のことを」思うなら。
黙って3巻を待って買え。じゃなかったら、すごいマンガを読ませていただいてありがとうと「心の中で」思うだけにしろ。


おれがコメントしたのはおれの業だよ。