[二年程前まで付き合っていた恋人が結婚した(長文です)]

まあ、内容はともかくです(誤解を恐れずにいえばすごく女性らしい文章だと思います)。

(長文です)

リンク先のはてな匿名ダイアリーを読んでいただくとおわかりでしょうが「長文」かね?とは思います。
最近、この「長文」の感覚のちがいが大きいといいますか、もっとザックリいうと、「全然長文じゃねえじゃん」ってのにかぎって(長文です)と書いてあるなあと思うのです。

これはもしかして、タイトルのときに思いのたけをぶちまけるから長くなるぞと思ってあらかじめ「長文です」と書いたけど、そんなに長文にならなくなったけど、タイトルのところまでスクロールで戻すのめんどくせえと思ってそのまま送る「ポ☆ニュー」方式を採用してるのかしらと思ったりね(別名:やっつけ見切り書き込み)。

と、冗談はともかくで。

これ、ケータイのメールが基準になっているんじゃないか?と思ったのですよ。
1回でのメールでの通常のやりとりってひとことふたことじゃないですか。それを基準で考えるならいわゆる「作文」は長文になりますよね。

あと、2ちゃんねるmixiなどの文章のやりとりを考えるとまた長文ではありますよね。

えと、つまり結論をザックリいうと、別に「長文です」とかいらなくね?ってことなんですけどね。

(長文です)は読者へのアテンションであります。でも、なんのためのアテンション?って考えるとさ。
ケータイなどで読むには容量が多いし時間がかかるものかもって配慮かもしれませんが、そんなことより、「長文です」の言外には、「長い文章ですがおもしろいですよ」ってのが含まれているような気がしてしょうがないんですよね。無意識の自意識というかね。そういうのがあふれてるような

ま、このヒトの行の空け方や、文章のこなれ方でいうと、けっこうブログとか書いてらっしゃるとお見受けするんだけどねえ。だからひょっとしてあえてなれてないってイメージをかもすためのフェイクの「長文です」なのかもしれませんが。

京極夏彦さんの著作くらいだったら「長文です」は有効かもしれませんけどねえ。

自己紹介 :

(じゅんの次に自己紹介してるのは長作です)