この行動のあとのネットの盛り上がり具合、
本人への飛び火具合、
なおかつ、「その後」
ここいらまで想定してプロデュースし、実践したのなら、
ひょっとしたらアートになるかもしれないね。
でも、もし、「アート」となるなら、この先3年くらい、どういうことになったか、逐一レポートしてどこかで報告してほしいもんだなあ。
アートじゃなくて炎上させたヒトがその後どうなったか?というのは、案外とわかってないからな。
「炎上させたことあるけどなにか質問ある?」
ってなスレッドが立ってればいいんだけどさ。
んま、自分のすごく浅いところで、「バカ」と「ひどい目にあえ」とは思ったけどさ。すごく直結した感じで、「やったらダメ」なこととして強烈な拒否反応があるよ。感情的にも、本能的にも。
実際問題、「このブスめ!」って素人もテレビでいじられて放映されていた時代はあったんだけどね。いつごろかこんなにも拒否する反応が植え付けられたのかは謎ではあります。
そして、Twitterにも書いたんだけど、おれが1番懸念していることは、「あや」がつくことを1番嫌っている伊集院光氏が「深夜の馬鹿力」においてのコーナー、ドブスとデブのユカイな絵面をレポートしてもらってる「デブとドブスがコンブリオ」を辞めてしまうことだよ。
んまあ、かわるがわるこういう類似コーナーは出てくるし、「ラジオのコーナーなんかつまり大喜利のことだからね」というおぎやはぎ矢作氏の名言にもあるように、ちょっと切り口を変えた大喜利のお題にすればそれでいいんだけど、こういう終わり方はイヤだなあと。
ただ、このケースはだれからも擁護されないような救いのなさがあるよなあ。身内も常識があるか、空気を読むことができたなら表立って擁護はできないだろうしなあ。
しかし、こういうとき光の速さでオバカさんを特定する「特定屋」さんの情熱っていうかエネルギーはどこから湧いて出るんだろう?そっちのほうがアートと思うわ。