[言葉が違えば住んでる世界も違う 言語の奥深さ : ギズモード・ジャパン]

非常におもしろい。

性文法をしゃべる人たちは英語(日本語)をしゃべる人たちよりも、無意識に世界が性別に彩られて見えるのです。小さいころから無意識に頭のなかで全てのものを性文法で性に分けて考えているわけですからね。

コトバがちがうとみえているものがちがうってのはいいね。そら、考え方とかもちがうだろうし、判り合えないわなあ。

日本語ならば「左にコロコロ転がったよ!」なんて言うわけです。しかし、アーストラリアのアボリジニー、Guugu Yimithirrを話す人たちは左右ではなく「東にコロコロ転がったよ!」と言います。子供のときから、方向を示す言葉は右左前後ろではなく東西南北で頭にはいっていると、彼らは自然の方向感覚のスペシャリストになるわけです。

ほーほー。

まあ、毎日話ししてコトバが通じ合うことを確認するのは大切なことだと思うよな。ひきこもりが加速するのはそこかもしれない。