中国も自由研究とか感想文とかやったらいいじゃんと思うのだけど。
それでスレは「勉強法」みたいな流れになっておもしろい。どうして当時は感想文を書くのがあんなイヤだったのかなあ。
で、知ったここ。おもしろいね。
●感想を書けといわれても まともに感想を書くと「おもしろかった」とか「感動した」・・・くらいしか書けませんよね。1行で終わりです。 しかしそういうことを書くのではなく、「読書感想文」とは・・・
「まず登場人物の行動や体験と 自分の日常を比較する。そしてその違いや共通点から 自分がどんな生活をしている人間なのかを書く作業」
と考えてみて下さい。つまり、自分の日頃の生活や体験を書く作業です。
そうなんだよな。学校の勉強ってのはそれぞれ「コツ」をみつけてそれに乗っかる作業なんだなと。そしてそれはどのシゴトでも応用が効くやり方なんだよなと。
もっと早く気がついてればよかったよ。
夏休みの感想文とか自由研究とか、毎年同じの出せばよかった
何糞まじめに毎年やってたんだろう
こういうことな。
読書感想文って、ただ単に梗概を書くものだと思っていた小学生低学年の頃
高学年になって梗概の最後に この話の主人公のような勇気ある人間になりたいです。 と締めていたが
六年の時、大きく×が付けられ、去年と同じです と書かれた、甘酸っぱい九月
ま、バレるときはバレるみたいけど。
夏休みの時弟がシラミにかかってその卵とシラミの死体を顕微鏡で観察したのを自由研究にしたら
弟がしこたまいじめられて不登校になってワロタw
こういうヒトすげえよ。
今、ちなみに「自由研究」用の教材を学校が販売してるんだよな。飼育キットやら、実験キットやら。工作キットもあるな。それをつくって出すのはあまり自由じゃないなと思ったです。