これおもしろいね。
上記リンクの上地雄輔氏の日記のコピペはまったく文章がアタマにはいっていかない。

[ふぅ〜。書きます。|上地雄輔オフィシャルブログ「神児遊助」 Powered by Ameba]

でも、このコピー元の改行多めの文章だとまだわかる。ま、アタマに入るかどうかってことはともかくなにを書いているかわかる。

なんていうか、ブログ文体といいますか、ネット文体といいますか、ケータイ文体といいますか。そういう文化の可能性を感じました。
上地氏は今もたぶんケータイでこれらの文章を紡いでおられそうで、そう考えるとこれらの文章はけっこうな時間がかかってそうです。
ケータイの改行はカーソル下にすればそれでいいんでしたっけ?
そして、ケータイ小説などの文化も、完全に下地としてあり、それらのほうが文章として読みやすいという層もいそうなんですよね。それは特別なことじゃなくて、たとえば、国語の教科書の文章よりラノベのほうがなじみがいいとか、口語体のくだけたエッセイ風のほうがいいとかと同じです。

なにがいいたいのかよくわからなくなってきましたが、日本語において、改行というのがすごく重要になってきているんだなと思ったのでした。
小学生の作文のように、原稿用紙びっしり隙間なく改行なく1枚とかそういう文章もたまにネットでみかけますが(amazonのAV機器のレビューに多いか)、そういうのはすでに「読みにくい」文章になってきてるなと思いました。日本語の文体が正しいというか、適切で、句読点もきっちりの文章より、ざっくりざっくり改行の空白のある文章のほうが読みやすいんですよね。

また紙媒体で読むとちがうんでしょうが。

叩くにしても
文章が理解できないから無理だ…

そういった意味じゃ最高のセキュリティかもしれないですね。でも、ボーダイな数の応援コメントがきてますし、その中の文章にはずいぶんと「しっかり(おれの感覚で)」とした文章で応援されてる方もみうけられますしねえ。

なんというか、あと、ラッパーのみなさまが切り開いた、悪いやつなりの「道徳」ってのも、ある層(ちょっとディティール一例いえばタトゥーを入れてるような方々)にはきっちりなじんだね。それを守ってる守ってないはともかく、「タテマエ」として。そして、上地氏もそれに乗ってるよね。

オイラがこの仕事を辞めると決めて連絡したのが、そして止めてくれたのは



しんすけさん

神原パパ

田中好ママ

品川お兄

久本お姉

うちの社長




だけです。

かように、身内仲間以外はどうなってもかまわないし、身内仲間だったら罪人でもかばうし守るってノリな。
それは昔からそうだけど、ここんところの「それ以外になにも価値なし」って感じがの純度の高さがちょっとこわくなってきている。それはクダンのブログの応援コメントからも伺える。
彼らはどこにいくのだろうか?
そして、なにから守って、なにと戦い、どうやったら勝ちなんだろうか?

[「どや」と紳助は言った。 - Ohnoblog 2]

一方、改行のまったくない文章。対照的です。内容も。

[消費されたな、1晩で - 北沢かえるの働けば自由になる日記]

で、このブログのタイトルのとおりで。
もう、最近のネット上での「ひととおり」のスピードが早いこと早いこと。

[【緊急速報】川越シェフが紳助を土下座させてる画像下さい! │ キニ速  気になる速報]

火曜日の23時にもう1枚目の画像があるんだぜ?信じられないよ。

個人的な意見は最初からない気味です。ただ、紳助&竜助の漫才、おれたちひょうきん族に笑わせてもらったってのはやっぱりおれ内には大きいし、そこはけっこう分岐点だよなあとは思います。

と、紳助&竜助の漫才が動画にないかなと思ったらありませんでした。でも、いまみておもしろいかしら?