[(10)「童貞連合」会員260人 : 男ごころ 「らしさ」を超えて ]([とかいろいろ])

「恋愛も、竹馬や逆上がりと同じ。できたら楽しいかもしれないけど、できなくたって何も困らない」と話す。

虚勢を張っていってたとしても、真剣にそう思っていたとしても、哀しさが漂うのが童貞ですね。しかし、同時にマヌケさやおもしろみも漂うのも童貞。

「いまの社会は恋愛資本主義。恋愛が、モノを売るための大きな要因になっている。だから、恋愛ができないとダメな男というような風潮を社会がつくっている。でも、ぼくはだまされませんよ」

おれもまさしくそう思う。でも、だまされると気持いいんですよねえ。マジックといっしょです。「どうせタネがあるんだろ」と思ってみるマジックはなにもおもしろくないじゃないですか。お祭りとかイベントを斜にかまえてみるより乗ったほうがおもしろいってことですよ。

「どうせアホなら踊らにゃソンソン」です。

「傷ついてもいいじゃないですか、思い切って一歩踏み出してみてください」

ただ、そのためにはこの「傷つく」というリスクが生じるわけなんですよね。これは本当苦しいですからねえ。経験者は語りますよ。

だから、小学校くらいのとき、だいたい3年生くらいまでに、1回、「告白タイム」って授業をしたらどうだろう。

「ウソだからね」というバラエティ的な前提のもと、それぞれがそれぞれにみんなの前で告白をするんですよ。

あーと、カンタンにいうと「ねるとん」ですね。

で、遊び半分イベント気分で告白してふられたり成立したりすることになれておくと、傷つくことを恐れずに済むのではないか?

老人ホームなんかでも、認知症の方でも、色恋をからめさせると、若返るなんていいますしね。一生悩まされ続けるもんですからねえ。

で、どう考えてもおれは連合に入っていた可能性のほうが高かった人生なので、入れなかったのは逆に運がよかったんだなあと思うことにしてます。それに優越感を持ったりはしませんがね。