自分より体格のいい人、力のありそうな人、格闘技やってそうな人、警備員の制服着てる人、スキンヘッドでサングラスかけてTATOOを入れて派手な服を着てる人、なんとなく恐い感じのする人、集団で歩いてる人(たち)…などは最初から「誰でも」の「誰」のうちに入ってないのと違うかな。
ホントそうなんですよね。だれでもよくて後先考えなかったり、自殺しきれないから死刑にしてくれなんてぬかす方は小学校じゃなくて暴力団事務所に包丁持って訪れればいいんですよね。
まあ、でも、そう考えると「だれでもよかった」で殺される人は、「殺すに手ごろな人」ってことになり、より複雑な心境にはなりますわな。犯人への怒りもより増えるってもんですよね。
[Yahoo!ポッドキャスト - AiDEM「土田晃之の“ツッチーとパストーク”」]
この番組で、土田晃之氏が、自分がでかくてこわそうな風貌でよかったことは、芸能人だからって、ダチョウ倶楽部の上島竜兵氏のように一般市民にオモチャにされないことだっておっしゃってます。
剣の達人なんかが、「デキル!」って相手を見切る能力は微小ながら一般人にも備わっているのですね。