[そんな死人の写真がとりたいのだろうか……携帯カメラが泣いている - ガジェット通信]

あのとき、私が心臓マッサージをしていた人はある意味「死んでいた」わけです。少なくともあの瞬間は。彼女達は死体をパシャパシャと撮ってるわけで。しかも、下手すればミクシィとかにアップしようと考えてるわけですよ。いかにもかわいそうな表情を顔に張り付かせて。

ま、つまり、咲いた花や犬や食べたラーメン撮るのといっしょで「ネタ」が1つゲットできたくらいの感じなんだろうな。しかも、コメントがたくさんきそうなネタだからラッキーくらいな。

そして、すごくアレなことを書かせてもらうと、苦しんでいるヒトを前に「身体が動いた」ってこと、それを「ネタ」として「ブログ」に書いたってことでは同じだったりするんですよね。もちろん、内容は全然ちがいますし、おれがいうなと思われそうですが、彼は書いてもOKというライセンスを正式にとって書いてはいます。

心臓マッサージは当然、写真を撮ろうという感じにも、動けたかどうか微妙な気がしましたよ。こういう場合、せめてジャマにならないほうがいいんだろうなあ。

今回の件もそう。見て見ぬふりなら、何もない。遅刻もしないし、平穏な一日だったでしょう。でも、そこで飛び込んじゃうのが、私らしさなのかな、とも思うので。やっぱり今後もいろいろあるんじゃないかな。あんまりいい思いはしたことないですけど、損ばっかりでも。まぁ、何もしないよりはして後悔することにしてますし。

自慢げですけど、それに値することができるので、それは正当だと思いますし、エライ方であることはまちがいないですよ。

なにもしないことに後悔しないようにする特訓をしてるからおれはへっちゃらです。