過去の津波で多数の犠牲者を出した岩手県普代村東日本大震災では死者ゼロ、行方不明者1人にとどまった。被害を食い止めたのは高さ15・5メートルもの水門と防潮堤。昭和40〜50年代、当時の村長が反対の声を押し切り、建設にこぎつけたものだ。ただ、今回は水門脇ゲートの自動開閉装置が故障し、1人の消防士が水門へ向かい、手動でゲートを閉めた。危機を見越した過去の政治的英断、そして地震直後の献身的な行動が村を守った。

これだよこれ。エエ話ですがな。
毎日毎日死んだ悲しいって話が多い。これはたしかに悲しい話があるし震災の悲惨さを浮き彫りにするけど、それって記者が現地の避難所で苦しんでる方々から絞りとった話って考えるとちょっとオエエエって思うんだよ。

それよりは、こうやって震災のときの反省とかこうだからよかった、悪かったみたいな検証のほうがよかったかなと思うのですね。

村では明治29年の大津波で302人、昭和8年の大津波でも137人の犠牲者を出した歴史があり、和村さんは「悲劇を繰り返してはならない」と防潮堤と水門の建設計画を進めた。昭和43年、漁港と集落の間に防潮堤を、59年には普代川に水門を完成させた。

 2つの工事の総工費は約36億円。人口約3千人の村には巨額の出費で、建設前には「高さを抑えよう」という意見もあった。だが、和村さんは15・5メートルという高さにこだわった。

これはあんた大金星だろ。この1回のための36オクエンだろ。もしこれじゃなかったらもっとだったしな。

ま、今後、東北の海沿いはみんなそびえ立つような防波堤ばかりになったらそれはそれでちょっと不思議なことになるんだけどな。

今回、原子力まわりの不備ばかり取りざたされてますけど、あらゆる専門家が「想定外」という恥ずかしいいいわけを使わざるをえないくらいの大敗北をしてるんですよね。とくに地震学なんかの災害方面を防止する方。
あんだっけ?スーパー防波堤?

[ギネスに載っている海底から60メートルのスーパー防波堤も簡単に乗り越える津波
日本の防災の考え方を基本から見直す必要がありますか? - Yahoo!知恵袋
]

こういうのな。

よくなろうよとは思いますね。
あと、1万年に1回のことが起こっても、それぞれの立場の保身とかがやっぱり先走るわけで、こうなると、宇宙人が地球侵略にきても、人類は共闘してりせず、グズグズしてるあいだに侵略終了ってことになりそうだってこともわかりました。

ま、それでもできる範囲でよくなるといいよね。目が覚めない方は一生覚めないようですし。