2つの点で興味深い。

まず食中毒になった後、2日後辺りから、下痢症状が始まる。
この段階でなるべく水分補給して、しっかり毒素を抜ければ軽快になる可能性もあるが、
5日目位まで気づかず、普通の下痢と思っているなどで、治療を受けなければアウト。
不可逆で回復に至らない、腎臓の障害に移行する。

食中毒が死に至る過程ですね。
以下コワイコワイヨー。下痢だと思って放っておいたらキケンキキケンね。

ここまでで透析を受け、適切な治療を受ければぎりぎり助かるかもしれない。
しかし気づかなかったり、治療が遅れると、腎臓が確実に逝った後、おしっこも赤く、うんちも
腸が溶けた後のどろどろとした血便に変わり、腹部は焼ける様に痛み、背中は前述の
ドンドンとした痛みが続く。
尿量も極端に減るため、顔はむくみ、顔色は赤黒くなってきたり青黒くなる。
毒素により、痛み、触覚も過敏になってきて、この辺りから錯乱症状も出始め、意味不明な事を口走る。

昏睡になってしまえば分からないが、昏睡に至らなかった場合はもう、うわごとの様に
「痛い…おなかが焼ける様に痛い…痛い…」と訴え続ける。
実際に痛み止めを打ったりすると、毒素を抜く事や体力低下につながる為、生き残れる可能性が
ある限りは痛みを伴ったまま頑張らせるんだよね…。

痛くても痛み止めを打てないのなあ。

先日お亡くなりになった富山県の男子中学生なんかは半年がんばった挙句だもんなあ。

[4月27日に入院、翌日には、HUS・溶血性尿毒症症候群を発症し集中治療室へ、夜には意識不明となり、人工呼吸器を装着しました。  腸管出血性大腸菌への感染が疑われ5月に入ってすぐに、医師から言われた一言、「脳の中に菌の毒素が広がり、これ以上どうにもならない、諦めてください・・・」  家族が呼びかけても触れても全く反応のない状態がおよそ半年もの間、続きました。]

そうか。そういう状態だったのか。家族が苦しかったわけなんだなあ。

で、もう1点。

この殺人ユッケを科学者指導のもと再現をしようとした雑誌があるんだけど
市販の肉(加熱用)を台所の排水口を拭いた雑巾でよく拭いて、素手で混ぜて
夏場に4時間常温放置しても、菌の種類も数も本物の殺人ユッケには遠く及ばなかった。
たぶん、加熱すれば食えるレベル。
もはや、どんな状況で調理したのかすら予想できない劣悪な環境だったと思われる。

あー。
別にあの店じゃなくてもどこでもありうることじゃない?と思ってたけど、ちょっと特別製だったみたいね。おーこわ。

おれは食ってないんだけど、ガキが1回トモダチといったときに食ってる(余談だけど、中学高校で外食に回転寿司とか焼肉って考えると狂ってるよな。それはおれらがファミレスだけどレストランや喫茶店にいくのが不良で贅沢ってのと同じな感覚なのかしら)んだよ。
いや、ま、命あっての物種たあいいますが、大丈夫でよかったわなああ。

ちなみに。
先日、その1軒の跡地にいってきました。併設されてるところにブックオフがあるんでね。ちなみにその店は石川梨華さんがいったこともあるところです。そこは、ナンバープレートの外された軽自動車が「重し」として店の扉の前に置いてあり「不法侵入禁止」みたいな剣呑なことを書いてありますね。

1軒は福島からのチェーン店が開店したみたいですが、おれの知ってる限り1店舗だけだよな。

あの社長は今どうしてるんだろう?あの店(というかチェーン)1軒で全国の焼肉屋の評判を地の底に落としたよなあ。ああいう業界は裏と通じてそうだからあの社長はそうとうイノチがキケンなんじゃないかなあと思ったり。

昨年末、原因不明の、でもたぶん食中毒と思われる症状で2〜3日寝込んだ。
真夜中の腹部の違和感から始まって、腹痛、強烈な吐き気(でも吐けない)だった。
動くこともできないでひたすら寝てた。

そんときゃ、食中毒って食べてすぐにくるもんだと思ってたから、
原因はその晩食べた鍋だろうと、でもヘンなものは入ってなかったはずだし、
一緒に食ったやつも平気だったからおかしいなぁとは思ってた。

そのあと、例の焼き肉屋のニュースで、食中毒に潜伏期間があると知った。
そういえば、あの症状が出る数日前、その焼き肉屋でユッケを食っていたのを思い出して、
合点がいった。

いまだに、あの晩食った鍋と同じ鍋を食おうとしたり、あの晩飲んだのと同じ酒を飲もうとすると、
体が拒絶するらしく、吐き気がする。

あ、もう1点。
食中毒っておれはないけど、もともとおれは魚ってあまり好きじゃないけど、いろいろと食べようと思い、少しづつチャレンジしたんだけど、ある日、寿司食ったらそれがヒットしてしまい、それから魚類はアレルギーになったんだよなあ。だから、こういうのはわかるわ。

美味しいものを美味しく食べたいですね。なに?このまとめ。