電車の中でも大人がマンガなんか読んで恥ずかしくないの?
たしかに欧米的な観念かもしれないけど、子供が読むのならまだしも、マンガばっか読んでたら
文脈に沿った想像力が乏しくなると思うんだけど・・・

なぜ、マンガはことさらに読まないことに「正当性」をかぶせてくるヒトが多いんだろうな。
テレビも「みない」宣言は多いけど、マンガのほうがエクスキューズが強そうな気がする。
これが長いこと謎なんだよな。ことさらに「マンガなんか読まない」って明記するヒトが多い。

それでいて「電車の中で」ね。岡村靖幸氏は歌にも織り込んでおられますわな。

× 先進国なのに
○ 先進国だから

まあ、答えはこれだと思うんだけどね。
たとえば、地下鉄に乗ってても、頻繁に電灯が切れるところ、治安の悪いところ、そもそも暗いところでは、マンガを読もうとは思わないよな。

そして、電車の中でのランキングでいうとどれが上なの?って問題もあるよな。

スポーツ新聞読んでりゃえらいの?ユーキャンの資格講座のテキストをブックカバーで隠しもせずに「どうよどうよ!」とばかり見せびらかしながらドアそばに立って読んでる「未来の夢目指してがんばっているワタシ」さんのほうがえらいの?
寝てりゃいいの? スマホで地下鉄なうがえらいの?
小説ならいいの?フランス書院文庫とか?

マンガは絵と言葉が固定してるから、表現されるものが限定されるから結局は作者のオナニーに還元されるんじゃないの?
それに対して小説の表現の読解は読者の思想に委ねるから楽しめるものがある

ちょっとなにいってるのかわからない。

小説は微妙な心理を与えるけど、マンガはな感情を緻密に表現できるの?

ああ、デジャヴ。柴門ふみさんが小説を頻繁に書いてらしたときにこのようなことをおっしゃって、いしかわじゅんさんにコテンパンにdisられていたことを思い出しました。そのときのいしかわ氏の印象的なコトバを。

「それはあなたが微妙な心理を描いたマンガを読んでいない(描くことができない)だけ」

同じページ数のマンガと小説があったとしよう。
おそらくマンガのセリフは小説の半分にも満たないだろうし、
場面の描写も小説の方が鮮やかに再現され、より流動的に移り変わるだろう

糸井重里氏のコピー教室で、マンガ1ページの情報量を小説に表してみようなんてことを実験されていて、結果、マンガ1ページあたり400字詰め原稿用紙で30枚に匹敵するほどの情報を抜き出すことができたそうですよ。

最後が鮮やか。引用させてください。

太宰治についてどう思うかね

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人間自信が持つ苦悩が端的に表現されていて素晴らしい作家だと思います

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小説の面白さ
太宰治

小説と云うものは、本来、女子供の読むもので、いわゆる利口な大人が目の色を変えて読み、
しかもその読後感を卓を叩いて論じ合うと云うような性質のものではないのであります。

小説を読んで、襟(えり)を正しただの、頭を下げただのと云っている人は、
それが冗談ならばまた面白い話柄でもありましょうが、事実そのような振舞いを致したならば、それは狂人の仕草と申さなければなりますまい。

小説と云うものは、そのように情無いもので、実は、婦女子をだませばそれで大成功。

その婦女子をだます手も、色々ありまして、或(ある)いは謹厳を装い、或いは美貌をほのめかし、
あるいは名門の出だと偽り、或いはろくでもない学識を総ざらいにひけらかし、
或いは我が家の不幸を恥も外聞も無く発表し、以て婦人のシンパシーを買わんとする意図明々白々なるにかかわらず、
評論家と云う馬鹿者がありまして、それを捧げ奉り、また自分の飯の種にしているようですから、呆れるじゃありませんか。

なんて痛快。

ヒトの「スキ」は遮らないに限るわな。