「聞こえないこと」の意味を理解するために - Togetterまとめ

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たんに手帳が取れないから障害ではない、よって支援は必要ない、という考え方は、足を骨折して松葉杖をついていても「障害者手帳が出てないから」、積を譲ったり配慮する必要はないというのと全く同じ話です。

佐村河内氏の話ですね。
たしかに仰るとおりと思います。

感音性難聴は「耳をふさぐ」というより、耳に水を詰め込んだ状態で話を聞いている、という例えが一番しっくりきますね、私は。

ああなるほど。

「聞こえる」「聞こえない」の2つでいうとたしかに水中でもなにかの音がするってのはあるけど、それがなんの音かわかるかわからないかってのは別の話ですもんね。

逆の現象ではありますが、アナログレコード、CD、カセット、ラジオ、など、メディアによって「音飛び」の感じがちがうように、「聞こえない」にも千差万別あるのは想像できるところではあります。

年齢のたびに聞こえなくなるってことでいうと、有名なモスキート音とかね。あれはそういうものが世に出回ったときにすでにヤングではないのでまったく聞こえないです。

ですので、佐村河内が「補聴器を付けないこと」はべつにおかしくもなんともなく、同時に手話通訳をつけていることも説明できるのです。補聴器がさほど効果を発揮しない、しかし、50dbでは全てを理解するのは困難である。となれば、手話通訳を介することは不思議でもなんでもないのです。

そうなんですよね。

だから、いろいろとネタにするにはまだ微妙なところに立っておられるとは思うのです。

ただ、それはネタにするほうの覚悟や考え方のほうの問題でもあるなあと。

まあでもそれらを考えて配慮したとしても、彼はおもしろすぎるということではあるんですよね。久しぶりのトリックスターなので素通りするのは難しいよ。

というか、もう、テレビでフライングでやってしまった人がいたりしてね。

だからどうってことはないんだけどな。

気になるんなら沈黙を守ればいいんだし。
てめえのケツを拭く覚悟があるのならいえばいいしってなあ。