[痛いニュース(ノ∀`):砂糖入りの「卵焼き」はアリかナシか]

ポイントは砂糖を入れる入れないということより、自身の寛容さをはかるリトマス試験紙として、食習慣はかなり有意義ということがわかるってことじゃないかと思うのです。

食事に対する姿勢とその人はすごくシンクロしてます。たとえば、なんでも食べるスキキライのないヒトは、それはすごいけど、マネできないし、どこかバカにみえるって感じがあるじゃないですか。
だからといって、すごく神経質に食事前にネギ除去を行っているヒトをみると、意味も意図も意義もわかるけど神経質と思うし、ガキと思うし、これまたバカにみえるよね。

別に玉子焼きくらい甘くても塩っぱくてもいいじゃんっていうと話は終わってしまうのですが、一方でそういうこだわりを持つこと自体はけっこう重要だし、他人はもちろんですが身内だとしても自分以外の「こだわり」を認めることは重要だよなと思ったりもするんです。

「砂糖入りの玉子焼きは母の思い出の味です。」

と、そう考えると、家庭内で、「好き嫌い」の基準を定めているのは母親だなあとあらためて思ったりもします。知らず知らず母親の好みに従わされてますよね。
だから、結婚するってことは、新郎新婦お互いの後ろにいる「好き嫌い神」の母親同士の戦いにもなるわけです。で、姑と同居になると、夫の中の母と、実際の母との2vs1になるから新婦がすごく不利になるから、同居をいやがると。

それで、ひとり暮らしが長いと、今度は、母の呪縛から「好き嫌い神」が自分になることもあるんですよね。だから3つどもえの戦いになります。

ま、できるだけ「美味しいものを楽しく」。これですよ。「家族」とは、それを目指して、全員が「美味しい」と思うものを納得して「楽しく」食べるというのを目指す集団ですよ。おれいいこといってるからカラースターだろコレ。はてブに「これはすごい」だろコレ。リブログしまくりだろコレ。