「空気読め」ってかなり有害なルールなんだな:哲学ニュースnwk

http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4290741.html

その場の様子や社会的雰囲気を表す言葉。
とくにコミュニケーションの場において、対人関係や社会集団の状況における情緒的関係や力関係、利害関係など言語では明示的に表現されていない(もしくは表現が忌避されている)関係性の諸要素のことなどを示す日本語の慣用句である。近年の日本社会においては、いわゆる「KY」と称する俗語が流行語となって以来、様々な意味を込めて用いられるようになっている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/場の空気

命令口調からもわかるように、基本的に目上が目下にむかって思う感情だよな。
ということは逆にいうと、「空気読め」と思う瞬間、そのヒトのことを目下にみていると。

リア充のことを思うわけです。
リア充って存在は実はそんな空気を読んでないんじゃないかと。他人に気遣いできてないんじゃないかと。
わりに観察していると、他人のイヤなところにズカズカと踏み込んできたりする発言も多いしこっちの用事なんかおかまいなしにダンドリしたりイベントを作って押し付けたりする。
でも、それでいいんだよな。リア充は「空気読め」とはいわれない。なぜならイーチアザーだから。リア充同士はこうやってお互いにムリをいいあってはそれを飲み込んでつきあう。

相手の立場に立って物を考えるって実はとてつもなく高度な作業
相手と同等かそれ以上に賢くないと出来ないからね

そう。だからリア充がこれができてるのかというと、そうじゃなくて、こないだムリをきいて付き合ったから、今度はこっちのムリをきいてもらうってバランスゲームの上で成立している関係ってのが多いような気がする。
ここいらのバランスが対等なのがリア充同士の「つきあい」「つれ」「マブダチ」なんかで、一方的にムリをきかされてるのは、完全に上下関係ができてるところ。よく、発言小町とかに書いてあったりしますよね。ママ友というより「ママ子分」にされてる悩み。

そういう構造から「空気読め」っていうのは、つまり、異分子を排除する感情ってことだよなと。
関係が成立してなくて、なおかつする気がない、その場にふさわしくないと思う感情から発生するコトバだし。
そして、そう思うってことは、自分はその場の空気を読むことができるんだなという自負もあるわけだ。そう思った瞬間、自分はこのグループに所属しているって気持ち、つまり、「今リア充」感が得られるってかねえ。

ま、こういう感覚にずいぶんとココロをかき乱されてた、わりに純度の高い「空気読まない」人生ですた。たまにたくさんの中にいるとある瞬間に「あ、おれ、今、空気読んでない」って思い出します。散々そういうことしたあとに。

恋愛は空気とか気にしない奴の方が強いと思う

ただ、これは当てはまらないのでした。