これが「食べログ文学」--“レビュー”という名の極上ポエムと私小説を堪能せよ - NAVER まとめ

http://matome.naver.jp/odai/2137369822105583701

「うちのワイフが疲れた、とのことで、外でごはんを食べることに」みたいな書き出し食べログで読めるのすごいわw

そう!そうなんですよ。
食べログというか、グルメ関連のレポートっていつから「ああ」なったんだろうね。

iPhoneアプリなんかのレビューで日本語じゃない☆1つとか、使い方がわからない☆1つってのもまたちょっとした文学のような気がするんですがそれよりも既存の文学には近いような気はしますよね。

 ゆっくり、あなたに、近づいていく。
 すると、あなたも、ゆっくり、近づいてくれた。

 あなたの時間がある。
 ぼくの時間がある。
 ふたりの時間はないのかもしれない。
 けれども、あなたがぼくにゆっくり近づいてくれた、
 あなたの時間。

 ぼくがあなたにゆっくり近づいていった、ぼくの時間。
 それは、たしかにあったのではないだろうか。

 そんなふうに思えるビーフシチューだった。

スゴイよ。
「思える」んだからね。そんなふうな味とかじゃないんだから。食べることによってそこまでイマジネーションが爆発して、そしてそれがなんだかわからないけど、そんなふうに「思える」んだから、もうコッチとしてはなにも言うことはないんだよ。

おやおや、センター街に松屋クリソツな店ができたのかと外のメニューを見ていたところ

制服を着た高校生カップルがこれ以上ヒッツキようがないくらい最大限の面積を両者に合わせながら歩いてきた。

男は180cm位あるんじゃなかろうかスラリとして相当イケメン。
女は制服のスカートが異様に短かかったので顔に目が行くことはなかった。

11:30からセンター街をブラつくイケメンカップル。確実に不良である。

たとえば、食べログにおいて「美味しいかどうか」だけを情報として汲み取ろうとしたら「絶対」に要らないくだりですよね。

[渋谷 ひの家 (ひのや) : ひの家 ひのや[食べログ]]

しかも、こういう書き出しからはじまる「食べログ」の「口コミ」で衝撃の展開とラストが待ち受けております。
たしかにこれは文学です。

まあ、こういうことを書く方も読者も楽しむことができているのでそれは「幸せ」ってことにもなりますからして、いろいろというのは野暮ではありますね。

村上春樹作品が「文学の土俵で文学じゃないことをしてる新しさ」だったとしたら、食べログ文学は「文学じゃない土俵で文学をしてる新しさ」であって逆なんだけど、どちらも文学の守備範囲を押し広げるもの。結局、創造的なことってそういうことなんじゃないかな。
[食べログ文学論(大真面目に) - Togetter]

文化や文学というのはいつなんどきどこから生まれるかわからないので気をつけないとダメですね。(なんだそれ)