世界が日本のお笑いを真似しようと思っても不可能な理由:キニ速

http://blog.livedoor.jp/kinisoku/archives/3990958.html

海外だと、どこがおかしいところなのかを明確に指摘する役割が存在しないため、全体として共有できるボケにならざるを得ず、
日本の場合、ツッコミという役割が存在するため、どこがおかしいところなのかを明確にするだけではなく、
さらに様々な視点からツッコむことができるため、観客が気付かないおかしな部分さえも積極的に明るみにすることができ、
その繰り返しによって、急速なスピードで集団内修正を行っていくことができるのである

日本のお笑いはツッコミという存在が重要って話でございます。
たしかにそうだよなあ。

ただ、それはダウンタウンありきでもあるなあと。

ダウンタウンはネタが新しいのにボケとツッコミというオーソドックスなスタイルできたのが逆に新しかった。

直前まではボケとツッコミというスタイルを否定していたのが「新しい笑い」って感じだったような気がする。

いわく、スネークマンショーみたいの。ビートたけし氏のコント。とんねるずのコントなどなど。

日本にも観客に委ねるタイプの笑いはあるけどな
落語という伝統芸が
そして落語家は自身で突っ込み不要で観客に分かるボケは当然できるし突っ込みだってちゃんと出来る
噛み砕いて言えばどこでも笑点を初められるって事だ

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いえす

日本の笑いのシステムの種類が多いからいろんな方向に転べる感じよね

落語的なスタイルを高度とか言っちゃう勘違いを起こすと、それ以上の進化は難しくなるんだよね

この「高度化」がどんどん進んでいたんだよあな。
1980年代って全体的にそういう感じだったな。難しいほうが高度、それまでのはみんなクソみたいな。

アボットコステロをひきあいに出された方がいましたけど、スター・ウォーズのロボットの2人などのように、いわゆる映画とかドラマでもコンビを組んだりそこで面白おかしいやりとりをするみたいなことはあるし、そこには基本、ボケとツッコミみたいな役割分担はあるから、日本が高度だったり独自だったりでもないけど、日本はコンビでMCしたり、ひな壇芸人など、笑いをガイドする番組が多いので結果として観客もちょっとこなれた感じがあるのかね。

ただ、ダウンタウンが打ち出した「新しいスタイル」というのもかなりな古さではあるよな。「ケンちゃんラーメン新発売」が本当に新発売だったころはいつだ?ってくらい。

そいでもって新機軸を打ち出そうとして、たけし氏や松本人志氏は「高度化」していった感じはするよなあ。そこいらはもう宿命なのかもしれない。

今週の「アメトーーク」がキングコングとその同期芸人たちだったのですが、かれらは「上」がつまってるからこそずっと慢性的にくすぶっているような感覚がありますよね。そこいらも松本人志氏が作った弊害だよな。

一線を退かない感。

ということで「お笑い」って大変だよなあ(ひとごと)