消費されているのは”ストーリー”? - 斗比主閲子の姑日記

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今回のゴーストライター事件はレビュワー殺しであるよなあ。

この方が関わった曲に、消費者がどのような価値を見出していたかを確認するために、Amazonのレビューを見てみます。(ご想像の通り、既に荒らされています。)

作者の恐ろしい目のつけどころよ。

5つ星評価のうち、楽曲以外について触れられている方を中心にピックアップしていきます。

そう。
この「ミュージシャン」は楽曲以外のところに語るべきところが非常に多い方でな。

Amazonのレビューを紹介したのは、このような感想を書かれた方々のセンスを批判するためのものではありません。この方の人生に感情移入し楽曲を評価されている方が実際にいらっしゃることの例示となります。楽曲に限らず、この方の人生の物語に価値を見出したと思われる方がいたわけです。

これってレビューの根幹に関わることだし、ひいては、「音楽を聞く」ってことにもつながるわけですよ。
前々から音楽を聞くってのは付随する情報も同時に摂取することに鳴るんだよなあと思っていたのですよ。
そこにあるのは楽曲だけだけど、それには様々な優劣やセンスや情報がまじりこむわけです。
たとえば、ミュージシャン自身のことや、録音された状況、ジャケットのデザイン、この作品が成立した経緯。そういうのすべてひっくるめて「音楽」として聞くことになるわけです。

だから、耳が聴こえないのに感動的な音楽を作る偉大な人ってのがすべてウソとなると、このレビューワーはなにに感動し星を5つつけたのか全く意味がわからなくなるってことですよ。

こういったものは、何も商品として販売されているものに限りません。夏の甲子園では球児たちに関するエピソードは過剰なぐらい報道されますし、オリンピックのメダリスト候補の私生活も競技と関係がないのにパパラッチされたりします。

そういったエピソード、ストーリー、物語は、直接的な消費物である、音楽・映像・文章・演技・競技からすれば添え物であるものの、それがあるからこそ、消費物が魅力的に感じることはあります。

こないだのSTAP細胞でしたか。それの方の過熱意味なし報道もそういう「ストーリー」をすくいあげるためのものですよね。
マスコミはストーリーの多い事件ほど重要な事件と思い込んでいるし、ひいては視聴者もそう思ってるフシはあるよな。

"ストーリー"を楽しむことに重点を置く人からすると、嘘が発覚した時点で、その消費物は消費対象ではなくなります。

一方で、最初から、その物語に、創作・釣り・誇張があることを理解したり、推測した上で楽しむ人間は、ストーリー成分の加点をつけなかったり、ストーリー成分をメタな観点で消費しようとするため、ストーリーについて嘘が発覚した後でも消費物自体を楽しむ姿勢を見せます。

どちらが良いか悪いかではなく、消費者として"ストーリー"をどう消費するかのスタイルの違いでしょうか。

そうですよね。楽しみ方があります。

どこぞの星の王女とか、悪魔って方の音楽はありますもんね。

いや、しかし。

あるマンガのことをしこしこと書いていたんですが、先日、作者のインタビューを読む機会があって、おれの書いていた仮説みたいのが全否定されて途方に暮れたのです。
これなんかは勝手に紡いだストーリーが結果としてなんの価値もなくなったってことですが、こういうこともけっこうありますよね。
片思いで勝手に作り上げていた像が否定されたから大逆上するとかな。
声優さんに彼氏が発覚したときにそういうことが多く起こりますよね。

今回のもそういうところがありますわな。感情移入しすぎてる感じ。

ということで、明日にも自分にふりかかる非常に身近でおそろしい「事件」ではありますね。

そして、あのチェ・ゲバラっぽい方はそういう意味じゃとってもロッケンローラーですよね。アナーキーです。すごく過激なパフォーマンスをかましてくれました。

この一連の流れで数少ない「いいこと」としては耳が聞こえていた(かも?)ってことですね。容赦なく怒りをぶつけられるしね。

ま、次の仕事探しなはれや。