世の中には「何でも嫌う人」がいる:研究結果:キニ速

http://blog.livedoor.jp/kinisoku/archives/4107196.html

被験者の中に、2つの特徴的なグループが見つかったのです。「何でも好きになる人たち」と「何でも嫌う人たち」です。「なんでも好きになる人たち」は、全く予備知識がなくても、大半のトピックを肯定的に評価しました。一方、「何でも嫌う人たち」は...。言わなくてもわかりますね。

この感じがわかるのです。もちろん「嫌う」方ね。

なんでも嫌う人いるな。
適当に流してるけども、かなり不快。
そんな脳みそ回線してるんだろうな。

基本は反論することをかっこいいって思ってるんだろうな。
そういうアラが非常によくみえているんだよ。なんでもくさそうと思えばできる。弱点が目につくんだね。もちろん自分のことは棚に上げてね。

大学のとき、誰もが好いているマンドリン部のユカイな名物部長がいたんだよ。学校内を歩いているとみんなが声かけるような昔の学園マンガ(ギャグマンガかね)の主人公みたいなタイプ。おれはキライだったねー。ノリとしては昨日のバラエティのおもしろいところを表層的になぞってる感じでみんなに「超おもしれー」っていわれる感じでさ。もちろん、それだけじゃなくて社交性の高さやらみんなの信頼があっての「超おもしれー」なんだけど、当時のおれはそのギャグの取り上げるセンスだけがもうつまらなくつまらなくて。

あとで結局仲良くなって飲んだときに「昔キライだったわー」的なことをいったら、かなりマジでそんなことをいわれたことがなかったみたいで、はじめてみるくらい青ざめた顔してたなあ。もちろんあやまったけど、けっこうトラウマを植えつけたろうなあ。すみません。

一般的に、悪い感情、悪い印象、悪いフィードバックは、良いものよりも「速く形成され、反証しずらい」ことを発見しました。言い換えれば、否定的なコメントは私たちの記憶に強く残り、肯定的なコメントは忘れやすいのです。このアンバランスをよく理解してください。
そして、肯定的なコメントを「意識的に」思い出す努力をしましょう。

これなんだよ。
悪口ってずっと刺さっているじゃない。
「言霊」とかそういうんじゃないけど、ずっと残るじゃない。
ってことは同じぶつける一言でもより「重い」わけだよ。
それは相手に印象づけられるってことではかなり効率がいいわけだよ。

皮肉屋の根本はそこじゃないかなと思うんだよ。相手に自分を印象づけたい。強いコトバで優位に立ちたいって。

自分のことを分析するとそうかなと。

オンラインなら、あなたの行動に相手がすぐ反応するとは限りません。また、反応を待つ必要もありません。自分の意見を好きなだけぶつけて、二度と戻らなければいいだけです。
〜省略〜
ただのゲームにすぎない。糾弾された批判者のよくある言い訳は、「おいおい、ただのネットじゃん」です。
たのルールはここでは関係ない。ここはインターネットです。現実世界では、会話の途中で突然いなくなるのは失礼に当たりますが、インターネットでは失礼に当たらないのです。

ここがちがう。

おれはむしろ、ネットのやりとりによって、かなり矯正されたんじゃないかなと思ってる。

ネットに投げた文章で長いこと反応があるものってことごとく「肯定的」なモノですよ。
新規や一時的にワーッとくることはそりゃあ様々だし強いコトバや痛いコトバのほうがきますけど、長期戦になるとけっこう肯定的なモノのほうが残るような気がします。
そういうことを勉強しましたよ。

それから意識してそういう強いコトバにたいして配慮するようにしだして現在に至るという感じです。

んまあ、あとぶっちゃけ、Twitterでフォローしていた有名人からブロックされたりなあ。
これがけっこう青天の霹靂でして。
だから、肯定的だからといって社交的になったわけでもないんだけど、より慎重にはなりますね。

完全に直ったわけでもないんですがよくはなりましたよ。

また逆に、ネットだからこそ、この手の悪意や強いコトバは簡単に退けたり排除したりできるのもまたいいですよね。
しょうもないネタや特定の悪意あるネタは読まなかったり途中でシャットアウトすることもできますし(前記の有名人にそうされたんだろうと思うし)。
対面でいわれる場合、そこに「悪意」の発信元がいることになりますし。

だから、ネットには恩を感じてます。多少は温和になったんじゃないかと。