◯◯が好きだ。 はてな匿名ダイアリー

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これまで僕は、あまり一般受けしないような音楽や映画などのカルチャーを知っていることが、男としてのステータスになるのだと思い、たくさんの音楽を聞いてたくさんの映画を観て学生時代を送っていた。映画が好きだとか音楽が好きだとかではなく、知っていることがステータスだと感じたから、それを実践していた。

いつごろこういう価値観がどこから刷り込まれるのかよくわからないんですけど、おれもこの「ワナ」にハマりました。現在進行形です。

けっこう根が深いような気がします。

というのも、小学5年生のときに6年生を送るお楽しみ会というものがあり、全校生徒で歌ったりゲームをするというのがありまして。
そこで、渡されたプログラムには校歌や蛍の光などの歌詞に混じって、長渕剛氏の「乾杯」の歌詞がありました。
今、どういうスタンスで知名度になっているのかわかりませんが、当時はテレビでは流れない曲でした。なぜなら、ニューミュージック系とロック系のミュージシャンはテレビにでないほうがかっこいいという風潮があったからです。

「こんな歌、知らないし、歌えないよな」

となりにいた友達にいったら「歌えるよ」と。

で、実際、ピアノの伴奏がはじまったらみんなあたりまえのように歌い出して衝撃。
まったくそのときにはじめて聞いた曲でした。

当時はYMOがではじめてきて、いわゆる「テクノポップ」の文脈でおれは音楽を聞いていたのでそっちのほうはまったくわからないし、なんとなれば馬鹿にしていたような気がします。
でも、ラジオのエアチェックとか、レコードやテープの貸し借りで浸透するってレベルにおいては、「乾杯」はスーパーメジャーな1曲だったようです。
テレビの人気の曲だけで「一般人と話す音楽知識」を得ていたおれにはまったくはいってこないのですよ。

だが26歳になり社会人になると、AKB48のメンバーを知らないだけで非国民のような眼差しで人に見られることに気がついた。そして想像以上に世の中の人は皆、「三代目J Soul Brothers」のメンバーの名前を知っているのだ。

これ。おれも社会人になってけっこう気付かされた。あと大学も大きいかな。かなりいろいろなところから来てる人と接する機会があったので。

隣にいた上司は「三代目J Soul Brothers」の話題で彼女と話している。僕はそれに対し、うんうんと頷くだけの時間が過ぎていく。帰り道、上司に「三代目J Soul Brothers」を好きになったきっかけを聞いた。上司は全然好きじゃないと、そう答えた。キャバ嬢の会話に合わせるため、勉強したというのだ。やり方は異なるが、僕と実践していることが一緒だった。

そしてこれ。
ある時期までは「勉強」しなくても勝手に入ってくると思っていた情報はいつの間にか「勉強」しないとまったく覚えられなくなってきてる。
勉強は習慣化しておいたほうがいいなと痛感したよ。自分に興味ないことがモーレツなイキオイで身につかなくなっている。

でもって、そういうのを勉強しないと入らないようなけもの道を歩いていた人生は、大なり小なりそういう方向での失敗や挫折があると思うのよね。これを書いてる人もいくらかのエラーの末に、キャバ嬢に当たり障りのない映画タイトルをいったんだし。

要するに、いかに相手との共通の話題を見つけるかが大人の世界では重要なのだ。これはキャバ嬢に限らず、営業先などのビジネス時の会話でも必要なスキルだと感じた。相手の好きそうなものを予めインプットし、それを面白おかしくアウトプットして話題を作る。僕は学生時代、9:1の1の方をインプットしすぎたせいで、大人になって“なにもない人間”として見られるようになってしまった。だからと言って、今更「三代目J Soul Brothers」のことを好きになろうなんて思えない。が、少しは9:1の9の部分を知ることは重要だろうと考え、僕はこの文章を「三代目J Soul Brothers」を聞きながら書いている。

すばらしい。
そして、おとなになってもとくにそんな「9」の知識がなく、話題がなくても生きていけている自分はラッキー。