届いている感で決まるネットライフ

気がつくとネットにつながって10年経つ。
3年来つまっていたスーパーファミコンのソフト「アウターワールド」の解法を聞くためにニフティのフォーラムにつなげたのは、セガサターンでだった。
その後、紆余曲折あり現在にいたるまでにも、数え切れないネットとつながる手立てを経てきた。

[あるニュースサイターのTwitter雑感 - 白い戯言]

いろいろとサービスを経験するに、合うもの合わないものがあることがわかる

Twitterもそのひとつ。mixiもそう。MMORPGなどのネットゲームもそう。これらには「ハマった」という感覚はいまのところない。

はてなにしてもアンテナとダイアリーは活用させていただいてるが、ブックマークはまだ入ってないし、そのほかのサービスは「はてなハイク」くらい。

[「はてなブックマーク」新バージョンは11月25日リリース - GIGAZINE]
(新バージョンから乗ってみるのもいいかなと思ったり)

思い返してもこれらのサービスで格別にイヤな目に遭ったわけでもないし、手痛いミスをしたわけでもないはず。ところがなぜか足が遠のく感じ。

これらは突き詰めると「おもしろくない」ということなんだと思う。おもしろくないからそのサービスを使わない。じゃあなんで「おもしろくない」という感情が生まれるのか?というのがタイトルにつながっていきます。

「届いている感」ですね。ネーミングセンス悪いです。「コネクト率」とでもいいましょうか。

ネットでなにか発言したり主張したりと関与する行為はすなわちだれかにそれをみてほしいからです。

ブログに特定して考えるとするなら、だれかが読んでいると思って、文章を書くわけです。理屈上、プライベートモードにしないと誰もが読むことができます。世界中のネット環境から自分の文章を読んでもらうことができるのです。

それはカウンターや、はてなスター(拍手)やコメント、はてはアフィリエイトというカタチで物理的に知ることができます。

でも、それよりももっと根源的なところで、「誰かが読んでいる」という感覚があるからこそ書くのではないかと思うのです。

これは100%自己満足の世界であり、実際のところの読者がわかることはないわけですし、読者が読んでいるなんて保証もどこにもないわけです。でも、いいんです自己満足で。
で、この「誰かが読んでいる」という感覚は、いろいろなことで感じられるのです。ホント感覚だけで「これがそうだ!」ってのがないですが。これが「届いている感」ですね。

それはたとえば複数ブログをやっててもしかりです。単純に人気があるとか、アフィリエイト稼ぐことができるってことだけじゃなくて、気が乗らなくなるとかやりたくなくなるってことが起こったりします。それはつまり「届いている感」が少ないからじゃないかと。

自分のやりたいことと届いている感が一致している人はすごく幸せですが、それがずれていると「届いてる感」が欠乏して苦しくなって止めたりするんじゃないかなって。

そしてもう1度同じこと書きますが、それは人それぞれです。病院にいってクスリ飲まないと気が済まない人もいる反面、医者嫌いで民間療法を渡り歩く人もいるのと同じです。

おれは現在Twitterに苦手意識を持ってますが、Twitterをメインにブログを放置してらっしゃる方もいます。また、いつの日かひょっこりと「届いている感」が湧き上がり、「Twitterサイコー!」といってるおれがいるかもしれませんし。

だから、チマタに蔓延している「更新しんどい病」。これは「届いてる感」が欠乏してるからだと思うのです。かっけにはオリザニンが欠乏しているのと同じです(いつの時代だよ)。

逆にすごい「届いている感」が出るときもあります。書き上げたときから手ごたえがちょっとちがうものとか。ま、年に1回とかあるかないかですが。

よって更新が滞ってるお気に入りのブログとかには「届いているから」という「しるし」を送ってあげてください。いや、おれには全然要りませんから。いやホントホント。その気持ちだけでけっこうですってば。

え?そう。悪いなあ。

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じゃあ、5000円ほど安くなっているし、これをポチっとしてくれたらすごくおれには届くので。ひとつよしなに。