http://www.akb48matomemory.com/archives/1024531800.html
合掌。
ということで、愛川欽也氏について思い出した過去の話。
高校生のころ。愛川欽也氏は司会業として絶頂期におりました。「なるほど・ザ・ワールド」や「11PM」でアホほど人気がありました。
もうそのころはテレビ自体の視聴時間が減ったのでみてません。トランプマンが出てきた頃でしょうかね。
「出る杭は打たれる」というのがこの場合適当なのかわかりませんが、愛川欽也氏は同時に嫌われてもいました。
とくにおれは宝島読者だったりして、故景山民夫氏の影響を色濃く受けていて、ラジオやエッセイで有名人、とくに愛川欽也氏をバカにするネタなどをゲラゲラ笑ってました。当時はそういう風潮だったのですね。ビートたけし氏の村田英雄コーナーとか。
景山民夫氏は放送作家でもあったので、当時の愛川欽也氏の横柄だったらしい態度を見聞きする機会もあったのかもしれません。
ただおれは愛川欽也をバカにするってネタのところで笑っていたような気がします。当時は今よりも芸能人がどうたらこうたらってことがみえなかった時代ですし(だからこその愛川欽也ネタの笑いだったりするのですが)。
で、親なんかの前でもいきがってそういうことをいったりしてました。
そんなあるとき、突然、なんの脈絡もなく母親が愛川欽也氏のことを話しだしたんですよね。
ざっくりとここにあるようなことを話しだしたんですね。
1978年に離婚。
なんと、その翌日にうつみ宮土理さんと再婚したそうです。
不倫!略奪婚と騒がれたそうです。そりゃ、翌日に結婚したんだったら
言われちゃいますね。
ここに書いてないようなこととしてはソースは親で、過去の記憶なので自信はないのですが、離婚するにあたって、家や貯金、すべての財産は放棄して、無一文の状態でうつみ宮土理氏と再婚されたそうです。
そこのところで母親は意気に感じるものがあったらしく、なかなかそういうことができる男はいないぞと(だからバカにするのはよくないぞ)語ってました。
正直、当時も今も「なんじゃそりゃ」とは思うのですが、愛川欽也逝去に際して最初に脳裏を過ったのはこのエピソードなので記しておきます。
あと、付随して。
景山民夫さんが作家を担当したある日の水曜「11PM」のテーマが「ふざけんなよ」だかで、いとうせいこう氏のヤンキーネタなどをやってて、トークコーナーで開口1番泉谷しげる氏に「でも、今、1番ふざけんなよと思うのは愛川欽也だよな」っていわせたりしてたのも思い出しました。その裏話もラジオで語ってましたね。マジで固まったり、スタッフに説教したりしてたとか、いとうせいこう氏(アシとしてラジオに出てた)のヤンキーネタが愛川氏にウケてたことをからかったりしてました。
[うつみ宮土理さんはなぜケロンパですか? - 若いころ「ロンパールーム」... - Yahoo!知恵袋]
おれは「ロンパールーム」は「なつかしの番組」で一瞬みたことしかない世代なのでここいらはわからないんですよねー。
アド街ックはこっちではやってないのでもうだいぶ過去の人ではありますが、ネットテレビ(完全閉鎖されてます)などをやられて、精力的だなとは思っておりました。
[『満州の紅い陽』公開初日を控え無念の逝去、愛川欽也さん。]
自主映画を8作も作っておられるのね。すげえな。
今ごろ、先に逝かれた菅原文太さんに「くるのはやいよ」って笑われてるころでしょうかね。